2016年09月06日
私が煙草を吸っていな
実はもう3ヶ月近く、私は自宅以外で煙草を吸っていない。自宅以外・・・つまり自宅ではまだ吸っているのだが、それでも自宅でもほとんど吸わなくなった。
禁煙しているわけではないが、ほとんど煙草を吸っていないのである。
これから禁煙をしたい、あるいは煙草の量を減らしたいと考えている人には、もしかしたら参考になるかもしれない。何しろ、自慢ではないが私は過去に3回も禁煙に失敗している・・・折り紙つきの意志薄弱者である。
ニューヨークに行ったら、絶対にエグゼクティブにはなれない。禁煙もできないような、心の弱い人間である。
ニューヨークで思い出したが、先々週の朝日新聞の天声人語に、こんなことが書かれていた。
ニューヨークでは2割くらいの喫煙者がいるが、基本的に自宅以外では吸えないので、ニューヨークには喫煙者などいないように感じる、それに比べ、日本でも喫煙率が30%台に下がったというのに、もっと多くの喫煙者がいるように感じる。街中で喫煙が野放しになっているから目に付き、そう感じるのだ。
レストランなどでも禁煙を徹底させ、街から喫煙を追放すべきである・・・
これを書いた人は、間違いなく嫌煙者である。
要約した内容には多少の私の偏見と間違いがあるかもしれない。なにしろ、私はもともと偏屈でヒステリックな天声人語が嫌いで、この文章を読んですぐに不快になったので、新聞を放り出してしまった。
私も偏屈な人間なのである・・・
まあ、偏屈な人間から言わさせてもらえば、天声人語の意見は、喫煙を絶対悪と決め付け、喫煙者を犯罪者か禁治産者扱いし、社会から完全に排除あるいは隔離しようとする全体主義的な考え方である。
喫煙者は麻薬常習者みたいなものだと決め付けているな・・・
天声人語や朝日新聞の社説に良く見られるのだが、自分が絶対に正しいと信じ込んでいるために、異論を認めないというか、聞く耳を持たない。
実はその考え方が、専制や独裁、偏狭なイデオロギーや宗教に通じていることに気づいていない。
フランス革命のロベスピエール、スターリン、ヒトラー、赤狩りのマッカーシー、文化大革命の四人組、ポル・ポト、オウム真理教の麻原彰晃だって、みんな自分は絶対に正しいって思っていたんじゃないかな・・・
俺は正義の味方・月光仮面だって、みんな思っていたんじゃないかな・・・
歴史上で異分子や異端者を排除、弾圧、粛清してきた人間は、みんな我こそ正義って思っていたんじゃないかな・・・
天声人語も朝日新聞の社説も大差ないんだよな・・・
戦前の戦争翼賛報道をしていた頃の、国家主義的体質と何も変わっちゃいないんじゃないかな・・・権威主義的体質もだけど・・・
また、脱線してしまった・・・
意志薄弱者の私が、どうやって自宅以外で煙草を吸わなくなり、ほとんど煙草を吸わなくなったのか・・・という話だった。
その日は3月初旬の土曜日だった。煙草を切らしてしまっていたのだが、煙草の自販機の前を通りかかった時に、ふと、こう思った。
ちょっと我慢してみよう・・・買うのをちょっと我慢してみよう。
煙草は持っていなければ吸えない・・・当たり前の話だ。持っていたら、我慢しようと思っても吸ってしまう。だから、買うのをちょっと我慢してみた。
禁煙したわけではない。買うのをちょっと我慢してみた・・・そうして、1日が終わった。
翌日は日曜日である。昨日買うのを我慢したんだから、今日もちょっと我慢してみよう・・・
いことに家族が気づいた。
「禁煙したの?」
「いや、吸うのをちょっとお休みしてるだけ・・・」
私は意志薄弱なだけでなく、卑怯者である。禁煙していると言って、自縄自縛(じじょうじばく)に陥るようなことにはなりたくない。いつでもフリーハンド、いつでも煙草が吸える余地は残しておきたい。
そして、水のペットボトルとノンシュガーガムを携帯して、口寂しい時にはそれで誤魔化した・・・というよりは、いつもガムを噛んでいた。
家族だけでなく、知人たちも私が煙草を吸っていないことに気づき始めた。
「禁煙しているんですか?」
「いや、煙草を止めたわけじゃなくて、今は吸っていないだけ・・・」
・・・私はあくまでも卑怯者である。
Posted by mjisek at 16:26│Comments(0)