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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2016年08月30日

ので買ってきた

 ブルーベリーが安売りになっていた。店頭に並べていた売れ残りで、多少痛んでいる数粒を取り除けば問題ない。
 ブルーベリージャムは連れ合いが前々からリクエストしていたものだったが、コストパフォーマンスを考えれば市販のジャムを買った方が安い。作り方を考えれば、味も手作りとそう大差ないように思える。
 そんなわけで、今までモノを置いた場を忘れる作らなかった。

 さて、この前の日曜日に終わってしまったが、ロンドン五輪が始まって間もない8月に、ブルーベリーを買ってきた・・・が、問題はこの暑さ。
 連れ合いが、火を通さなければならない野菜が安いという話をしてくれたが、誰だってこのクソ暑い時にはなるべく火など使いたくないということらしい。それでキャベツやニンジンが安いんだそうな。
「キャベツもニンジンも生で食えるんじゃない?」

 まあ、いい。とにかく、夏に煮物は禁物である。熱中症になりかねない。
 だから、できれば夏のジャム作りは避けたい。

 連れ合いと話したことがあるが、日本の家屋のキッチンというのは大抵エアコンがない。
 もともと台所は涼しいところに作られる。おそらく食品の保存を考えての生活の知恵だと思うが、昔のように風通しの良い木造家屋ならともかく、今の住宅は気密性が高い。これが集合住宅になるとどこにも冷涼なところなどなく、せいぜいが日が当らないというくらい。

 ならばキッチンにエアコンは必須だと思うが、あまり見たことがない。あるいは最近の家ではキッチンにエアコンはあるのだろうか?
 連れ合いに言わせれば、住宅の設計思想が男性視点であるから、キッチンにエアコンが必要だという発想にならない。そうかもしれない。
 集合住宅では、夏はとにかくトイレとキッチンが暑い。狭いから風通しが悪く、火を使う台所は最悪だ。

 そんな話を兄にしたら、エアコンには狭い部屋用がないからだと言った。確かに、6畳用以上はあっても1畳用とか半畳用なんて見たことがない。建物全体やフロア全体の冷暖房ならできるのだろうが、狭い部屋に個別に室内機を置いて配線やダクトを通すなんて、確かに不可能。
 でもキッチンなら工夫すれば可能な気もするが、どうなんだろう。
 
 さて、現実問題である。
 ジャム作りに限らず、キッチンの熱中症対策はどうするか?
 我が家の場合はエアコンのあるリビングからサーキュレーターで冷気を送り込む。熱気はキッチン上部に溜まりやすいが、キッチンは壁に囲まれて狭いだけに、循環を作ってやると熱気がリビングに押し出されて、多少気温が下がる。
 しかしそれでも熱い。ガスレンジの周りは尚更。台所に水は豊富なので、コップを置いて汗をかきながら、とにかく水を飲んで補給する。  


Posted by mjisek at 17:11Comments(0)

2016年08月22日

一年があっという間に過ぎる

歳を重ねるにしたがって時間は加速度を増し、棺桶目指してまっしぐらという気がしてくる。
 少年老い易く学成り難し、とはよく言ったもんだ。さすが朱子先生。

 そんな学成り難し中で、今年もモノを置いた場を忘れるジャムを作った。去年作りすぎた反省もあって、今年は必要なだけ作るようにした。
 メローゴールドに始まり、金柑・八朔・ラズベリー・バナナ・苺・パイナップル・ブルーベリー・レモン・杏・プルーン・幸水梨・巨峰・ライム・南水梨・栗・洋梨・柚子・紅玉、スチューベンという葡萄のジャムも作った。
 複数回作ったものもあるので、20以上作ったことになる・・・糖尿病が心配だ。

 子供は、「ここ数年手作りジャムを食べ続けてきたので、市販のジャムが食べられなくなった」と嬉しいことを言ってくれる。
 ジャムのホームページ作りにも乗り出したが、こちらは遅々として進まず。
 それでも、今年はジャム作りに大きな変化があって、これまで使わなかったペクチンを初めて使ってみた。
私の台所 ペクチン 30g_

私の台所 ペクチン 30g_
価格:616円(税込、送料別)

 果物によってペクチンを多く含んだものとそうでないものがある。
 多いのは梅・杏・プルーン等のスモモ類、レモン・金柑・柚子・ライム等の柑橘類の一部。
 ペクチンそのものは植物の細胞壁に使われる多糖類で、どのような果物にも含まれているが、含有量や結合の度合いもあって、加熱してジャムにした場合にサラサラにしかならない果物が多い。

 砂糖を多めにしたり、レモン汁で酸度を上げてペクチンを溶出しやすくする方法もあるが、甘くなりすぎたり、酸っぱくなりすぎたりする。
 これまでは多少水っぽくても手作りジャムらしくていいや、と考えてきたが、少量の工業ペクチンを加えるだけなら、手作り感を損なわないし、多少粘り気があった方がジャムとして使いやすいのではないかとも考え、スーパーで買って南水梨で試してみた。
nansui1 (350x263)
 梨ジャムは水分ばかりで少しも粘らない。それがペクチンを一摘み入れたら、ほんのりと粘った。
 市販ジャムのようなゲル状にはせずに、水っぽさを緩和する程度ならペクチンも使いようだと思った。その後、紅玉・洋梨にも少量入れてみたが、意外と効果的。
 少年老い易く学成り難し・・・多少の進歩はあったか?

 冒頭の写真はアメリカ産のペクチン。オレンジなどから作られているが、日本ではリンゴから抽出するものが多い。   


Posted by mjisek at 15:48Comments(0)

2016年08月15日

 ここまで長々と書いたのは

いかに天皇が民主主義国家における天皇像の確立に尽力されてきたかを説明するためである。
 そのような天皇の真摯なお気持ちとお人柄が、これまでも被災したり不幸にあった国民を勇気づけてきた。だから3月11日の追悼式典で、天皇がどのよう無論在什麼年代,追求幸福都是永恆
に被災者を勇気づけ、国民に呼びかけられるかをお聴きしておきたいと思った。

 残念ながらその前に首相の式辞があって、ネット検索で簡単にテンプレートが見つかりそうな弔事のスピーチと、街頭演説の選挙公約か国会答弁のような、政治家の空疎な言葉が躍った。

「悲痛の念に堪えません」「衷心より哀悼の意を表します」「心からお見舞いを申し上げます」「被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります」「美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします」「災害対策の強化を早急に進めてまいります」「復興を通じた日本の再生という歴史的な使命を果たしてまいります」

 首相が作文したのか、秘書官が原稿を書いたのか、それとも役人か。血の通わない言葉の数々・・・
 言葉については、このブログのタイトルでもあり、2007/2/3「言葉の重さと、我が存在の軽さについて」に説明している。

 言葉はもともと呪術的な要素を持っていて、言葉を発することには大きな重みがあった。古代人でなくても、私たち現代人にとって言葉は大切で、その言葉は人を傷つけ、人を悲しませることもあれば、人を笑わせ、人を元気づけ、人を幸せにすることもできる。
 政治家や役人たちの言葉ほど、空疎で軽いものはなく、それは追悼式典の首相の式辞に表れている。

 一方で天皇のお言葉は、人命を救おうとして命を落とした人々、原発事故によって故郷を追われた人々、ボランティアや被災地・福島第一原発の第一線で戦っている人々、外国からの救助隊にも思いを馳せたものだった。
 そして、原発事故の終息が困難を極めること、被災地の復興の道のりが簡単ではないことを直視し、その困難の中で国民が心を一つにして国の復興のために辛抱強く努力し、将来の国民のために安全な国を作ること、それが震災で命を失った人々に対する慰霊になると呼びかけられた。  


Posted by mjisek at 16:47Comments(0)

2016年08月03日

心中流淌的不只是一種想念

  
  期待下一世,我為琴,你為簫,譜就一曲情動天上人間的梵音,續一場琴瑟和鳴的傳奇;期待下一世,我為清風,你為白雲,繾綣萬千看雲卷雲舒隨風起舞,柔情百轉在和風細雨裏纏綿;期待下一世,你為在水一方的伊人,我為兩兩相望的公子,來世情來世再續,我只要你今生愛我一次,以不負我傾盡一心,只為一人。心情隨著思緒起伏不定,一次次在靜靜的夜晚敲擊鍵盤,只為你一個人所寫的心語。有時在想,當你閱讀的那一瞬間,是否會觸動你那顆冰冷的心?這樣的夜無論在什麼年代,追求幸福都是永恆,一個人靜靜地思念。手指輕輕的敲打著鍵盤,傾聽文字在手指下麵的傾訴。驀然發現,原來有很多的時候,心裏會悄然的走過關於某一個人的思念。原來對一個人的思念有時候不需要這麼纏綿,只是如水流過,了無痕跡。尤其是這樣月光如水的夜晚,還有想念溢滿的柔軟。
  
  思,有點心酸;念,有點牽腸;想,有點心痛;望,有點傷懷。一轉眼,落紅謝成了,思念你的那首小詩;一回眸,心事瘦成了,想念你的那彎柳眉;一揮手, 相思化成了,愛戀你的那幕細雨。一份靜悠,一份閑遠,想你的心深沉如子夜的海般深寂。思念是筆端淡淡的墨色,從容的滴於薄如蟬翼的宣紙,棉如雪的思緒就這 麼慢慢潤染開來,幸福的痕跡濃淡皆宜。此時,千裏之外的你,也會如我一樣的想念嗎?想著隔時隔空的思念,追隨著彼此相同而又熟悉的氣息。思念從身體滑過,驚醒每一個沉睡的細胞。是真中的夢,是夢中的真,還是驚醒後迷茫的惆悵?
  
  花若謝,定是為你凋零;淚若流,定是為你哭泣;月若瘦,定是為你相思;筆若動,定是為你寫詩。將藍天傾鋪成淡薄的畫卷,展一片筆墨淡香,留一線靜謐遐 想,穿透多姿的雲彩,尋找放飛夢想的天堂。想你,在獨坐幽窗品茗的時候,茶香幽幽溢滿心間,就像那些芬芳過往;想你,在黃昏漸漸逼近的時刻,憂傷似海,但 我不敢說出你的名字;想你,在秋風乍起的時候,雨橫風狂,梨花深閉門,感覺時光漸老,如花美眷,似水流年。
  
  望天涯,月明知要缺,卻還是要圓;臨流水,花明知要謝,卻還是要開;念伊人,心明知要痛,卻還是要寫。好久沒有你的消息,我的視線裏已斑駁了對你的記 憶,在逝去的光陰裏,在相伴的歲月中,你的身影時刻縈繞在我的腦海裏揮之不去,那些曾經的點點滴滴,已經過歲月的洗禮,漸行漸遠想忘掉卻又記起,將思緒裁 剪,將過往拾起,一點點一滴滴,燈火蹣跚處,你的影子還是跟我形影不離。在你的世界裏,我迷失了自己,到如今還徘徊在過去的歲月裏,細數往昔,有著如花的 美麗、有著浪漫的情懷、有著喜悅的淚滴。梨花帶雨灑滿一地,風花雪月的呢喃,今生只能借助文字來把對你的眷戀,寫進流金歲月的記憶裏,等到閒暇之餘,去梳 理那柔情似水的漣漪、去咀嚼那櫻花浪漫的回憶!
  
  信手執筆,用三分溫柔寫出你的喜怒哀樂,用七分情願寫盡你的苦辣酸甜,用十分感動寫 滿你的春夏秋冬,然千言萬語,寫不出的,是你在我夢中的迷離;詞窮意盡,描不出的,是你在我心裏的美麗。文字裏,思念,成河,不渡;心事,成酒,不酌。今 夜,我用文字編織一個靜美的世界,驀然回首,水做成的夢,滴滴入懷音,直到難眠時,才發現是相思,這是心情;直到分手時,才知道是眷戀,這是目光;直到離 別時,才明白是心痛,這是感覺;直到夢醒時,才清楚是永恆,這是緣份。
  
  如今,月色依舊清亮,窗外,春意漸濃,我依舊那麼的喜歡著你,在靜寂的月夜裏,體會獨自無眠時那片刻的安寧。攬一輪明月,寫滿相思伴你遠行;采一朵蓮花,溢滿心香給你安然;擷一片楓葉,寫滿溫暖伴你淺舞天涯。只因為,你的美,寥落了我的文字……  


Posted by mjisek at 17:01Comments(0)
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