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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2016年05月13日

論点が明確であるし



同じ趣味を持つと、ピンポイントに興味が絞り込めるし、
その道での経験や意見、考え、悩みが、各自それぞれあって、。
しかも、年代もほぼ似たり寄ったり。

あーだこーだと、意見や感想を多くの人と戦わせ合うのって、とても楽しい。
しかも、どうでもいい、趣味のことなので、罪がない。結論なんか、いらない。
お茶のみ縁側的な場でもある。

どんな世界も、本音と建前があって、一見、良く見えても、どこも同じだ、という人もいるが、
趣味の世界に、本音と建前を使い分けて、なにをしようというのだ?
そんなものは、いらない。
意見が違えば、「人それぞれ」で片付ける。
「プロじゃあるまいし。所詮、お遊び。各人、ご自分の道を突き進んで楽しめたらいいですね」に、なる。

自己顕示欲の強い人や、結果主義の人、競技絶対主義の人がいても、
「競技に価値をおかない」という価値観で、勝負は、勝ち負けなしになる。
競技の人は、競技の人だけで共通するものが、わかりやすい、つるんでもらえばいいわけで、その他の人に価値観を押し付けるのなら、
自分たちの世界から一歩も出なければいい。
でも、ちょろちょろ出てくるので、そこは、社交の世界。
自分たち競技者の実力を認めろ、と、しゃしゃり出てくるのなら、そちらの世界内だけでどうそ、と、お帰りいただく。
出てくるということは、こちらの世界(競技ではない世界)に魅力があるからに他ならない。
こっちの水は、甘いのだ。
修行僧が、ふもとの街に、ふらふらと舞い降りてくるようなものだ。

ただし、本音と建前を使いわけている、と、わたしは思わない。
相手に合わせる必要はない。喧嘩をする必要もない。

価値観は、人それぞれであり、共通するところだけで、接点を持って、楽しめばいいのだ。

趣味の世界は、どれが正しいとか、こっちにしなさい、とか、そんなのはない。
笑われるようなカッコ悪いことをあえてしたい人は、すればいい。
上達が著しく遠くなるような道をあえて選びたい人は、選べばいい。
向上、努力、精進を極めたい、一生、終わりはない、という人は、そうすればいい。
サボってる、とか、生真面目すぎるとか、柔軟性がない、とか、人の選んだ方法に口を出す権利はない。

ただし、あくまでのこれは趣味の世界のこと。
仕事や、生活面で、ノールールで好き勝手、それぞれにしていたら、社会は混沌とする。
日常生活が苦しくて辛くて、趣味の世界で、ほっと息抜きをする人もあるだろう。
趣味で、救われる。
そんな人に趣味の厳しさを説いて、どうする?
気が晴れて発散するタイプと、のめりこみ、追求するタイプがある。
あるいは、優位をお金で買おうとするタイプ。
努力の工程をショートカット。
これは、自慢げにされると、じつに鼻につく。
経済的にゆとりがない人は、自分のできる範囲のことで頑張っているのに。  


Posted by mjisek at 17:19Comments(0)

2016年05月06日

パソコンは、二階はノ

うちは、一階のテレビ鑑賞係(夫)と、二階のパソコン係(わたし)に、分業。
正確に言うと、「分住」。

ートパソコンなので、使いにくい、文字が見にくい、操作がし辛い。
でも、あえて、わざわざ二階のパソコンで頑張るのはなぜか?
一階のパソコンなら、スイスイ、3倍速ぐらいのスピードで、ストレスなくできるのに。

答えは・・・分住。

夫とは平日は、仕事で別々の場所に分散。
休みは、平常は夫はゴルフで不在。
これが、お互いの幸せをモノを置いた場を忘れること、限りなく最大限に合理的に形成している。
お互いが楽しく、満足でハッピーである。
明日からの仕事のエネルギー源にもなる。
ベストな形態、状況である。

が、ほんのちょっとしたことで、「ゴルフ」がない場合。。。
これが、ビミョーな歪を生み出す。
ビミョーは、さらに進化し、ビミョーではなくなる。
怪物に成長してしまう前に、食い止めなければいけない。

そこで。苦肉の策が、一階と二階に分かれる、分住である。

二階のほうが、断然、住みにくい。
そもそも二階は、子供部屋と寝室、クローゼット、納戸、物置しかない。
居間や書斎は、設えていない。

一階は、ダイニング・キッチン、リビング、和室となっていて、
リラックスする空間として活用されている。
食べたり、飲んだり、テレビやビデオ、音楽を聴いたり、本を読んだり、
書き物をしたり・・・
そういう、暮らしを豊かにする工夫を盛り込んで、設計してある。

が、それを夫に与え、わたしは、不便な二階に泣く泣く移る。
これも、平和を保つための、最小限度の我慢、忍耐、努力である。
不快な思いを爆発させて、喧嘩するよりは、マシかと。

夕方になると、長女一家も顔を出すので、それまでの辛抱だ。
ちょっとぐらいパソコンが使いにくいからといっても、少しのガマン。
長女一家と合流すると、あとは、にぎやかな時間が訪れる。

ただただうるさい、大音量のテレビ、しかもガチャガチャ、常にザッピング、
どの番組を見たいのか、さっぱりわからない、テレビ中毒。 
それらの拷問に、わたしの脳の血管がぶち切れる寸前まで耐えなければならない、
そんな過酷な現実から逃れられる。

もし、一部屋しかなかったら?
なんらかの事態の変化が起きることだろう。

と、打ちにくいキーを、目をしょぼつかせながら、肩を凝らしながら、
しかも書いている内容は、こんな内容で・・・
そうしているうちに、娘一家が登場する時間になる。

こうやって、楽しい、実りある人生を歩いていくのだろう。
光もあれば、影もある。

だれが悪いのでもなく、いろんな異分子と協調してやっていこうという、
そういう努力は、決して無駄ではないと思う。
ただし、押しつけがましいのは、よくない。
偽善のニオイは、もっとよくない。  


Posted by mjisek at 18:31Comments(0)
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