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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2016年09月06日

私が煙草を吸っていな



 実はもう3ヶ月近く、私は自宅以外で煙草を吸っていない。自宅以外・・・つまり自宅ではまだ吸っているのだが、それでも自宅でもほとんど吸わなくなった。
 禁煙しているわけではないが、ほとんど煙草を吸っていないのである。

 これから禁煙をしたい、あるいは煙草の量を減らしたいと考えている人には、もしかしたら参考になるかもしれない。何しろ、自慢ではないが私は過去に3回も禁煙に失敗している・・・折り紙つきの意志薄弱者である。
 ニューヨークに行ったら、絶対にエグゼクティブにはなれない。禁煙もできないような、心の弱い人間である。

 ニューヨークで思い出したが、先々週の朝日新聞の天声人語に、こんなことが書かれていた。
 ニューヨークでは2割くらいの喫煙者がいるが、基本的に自宅以外では吸えないので、ニューヨークには喫煙者などいないように感じる、それに比べ、日本でも喫煙率が30%台に下がったというのに、もっと多くの喫煙者がいるように感じる。街中で喫煙が野放しになっているから目に付き、そう感じるのだ。
 レストランなどでも禁煙を徹底させ、街から喫煙を追放すべきである・・・

 これを書いた人は、間違いなく嫌煙者である。
 要約した内容には多少の私の偏見と間違いがあるかもしれない。なにしろ、私はもともと偏屈でヒステリックな天声人語が嫌いで、この文章を読んですぐに不快になったので、新聞を放り出してしまった。
 私も偏屈な人間なのである・・・

 まあ、偏屈な人間から言わさせてもらえば、天声人語の意見は、喫煙を絶対悪と決め付け、喫煙者を犯罪者か禁治産者扱いし、社会から完全に排除あるいは隔離しようとする全体主義的な考え方である。
 喫煙者は麻薬常習者みたいなものだと決め付けているな・・・
 天声人語や朝日新聞の社説に良く見られるのだが、自分が絶対に正しいと信じ込んでいるために、異論を認めないというか、聞く耳を持たない。

 実はその考え方が、専制や独裁、偏狭なイデオロギーや宗教に通じていることに気づいていない。
 フランス革命のロベスピエール、スターリン、ヒトラー、赤狩りのマッカーシー、文化大革命の四人組、ポル・ポト、オウム真理教の麻原彰晃だって、みんな自分は絶対に正しいって思っていたんじゃないかな・・・
 俺は正義の味方・月光仮面だって、みんな思っていたんじゃないかな・・・
 歴史上で異分子や異端者を排除、弾圧、粛清してきた人間は、みんな我こそ正義って思っていたんじゃないかな・・・

 天声人語も朝日新聞の社説も大差ないんだよな・・・
 戦前の戦争翼賛報道をしていた頃の、国家主義的体質と何も変わっちゃいないんじゃないかな・・・権威主義的体質もだけど・・・

 また、脱線してしまった・・・

 意志薄弱者の私が、どうやって自宅以外で煙草を吸わなくなり、ほとんど煙草を吸わなくなったのか・・・という話だった。

 その日は3月初旬の土曜日だった。煙草を切らしてしまっていたのだが、煙草の自販機の前を通りかかった時に、ふと、こう思った。
 ちょっと我慢してみよう・・・買うのをちょっと我慢してみよう。

 煙草は持っていなければ吸えない・・・当たり前の話だ。持っていたら、我慢しようと思っても吸ってしまう。だから、買うのをちょっと我慢してみた。
 禁煙したわけではない。買うのをちょっと我慢してみた・・・そうして、1日が終わった。
 翌日は日曜日である。昨日買うのを我慢したんだから、今日もちょっと我慢してみよう・・・

いことに家族が気づいた。
 「禁煙したの?」
 「いや、吸うのをちょっとお休みしてるだけ・・・」

 私は意志薄弱なだけでなく、卑怯者である。禁煙していると言って、自縄自縛(じじょうじばく)に陥るようなことにはなりたくない。いつでもフリーハンド、いつでも煙草が吸える余地は残しておきたい。
 そして、水のペットボトルとノンシュガーガムを携帯して、口寂しい時にはそれで誤魔化した・・・というよりは、いつもガムを噛んでいた。

 家族だけでなく、知人たちも私が煙草を吸っていないことに気づき始めた。
 「禁煙しているんですか?」
 「いや、煙草を止めたわけじゃなくて、今は吸っていないだけ・・・」
 ・・・私はあくまでも卑怯者である。   


Posted by mjisek at 16:26Comments(0)

2016年08月30日

ので買ってきた

 ブルーベリーが安売りになっていた。店頭に並べていた売れ残りで、多少痛んでいる数粒を取り除けば問題ない。
 ブルーベリージャムは連れ合いが前々からリクエストしていたものだったが、コストパフォーマンスを考えれば市販のジャムを買った方が安い。作り方を考えれば、味も手作りとそう大差ないように思える。
 そんなわけで、今までモノを置いた場を忘れる作らなかった。

 さて、この前の日曜日に終わってしまったが、ロンドン五輪が始まって間もない8月に、ブルーベリーを買ってきた・・・が、問題はこの暑さ。
 連れ合いが、火を通さなければならない野菜が安いという話をしてくれたが、誰だってこのクソ暑い時にはなるべく火など使いたくないということらしい。それでキャベツやニンジンが安いんだそうな。
「キャベツもニンジンも生で食えるんじゃない?」

 まあ、いい。とにかく、夏に煮物は禁物である。熱中症になりかねない。
 だから、できれば夏のジャム作りは避けたい。

 連れ合いと話したことがあるが、日本の家屋のキッチンというのは大抵エアコンがない。
 もともと台所は涼しいところに作られる。おそらく食品の保存を考えての生活の知恵だと思うが、昔のように風通しの良い木造家屋ならともかく、今の住宅は気密性が高い。これが集合住宅になるとどこにも冷涼なところなどなく、せいぜいが日が当らないというくらい。

 ならばキッチンにエアコンは必須だと思うが、あまり見たことがない。あるいは最近の家ではキッチンにエアコンはあるのだろうか?
 連れ合いに言わせれば、住宅の設計思想が男性視点であるから、キッチンにエアコンが必要だという発想にならない。そうかもしれない。
 集合住宅では、夏はとにかくトイレとキッチンが暑い。狭いから風通しが悪く、火を使う台所は最悪だ。

 そんな話を兄にしたら、エアコンには狭い部屋用がないからだと言った。確かに、6畳用以上はあっても1畳用とか半畳用なんて見たことがない。建物全体やフロア全体の冷暖房ならできるのだろうが、狭い部屋に個別に室内機を置いて配線やダクトを通すなんて、確かに不可能。
 でもキッチンなら工夫すれば可能な気もするが、どうなんだろう。
 
 さて、現実問題である。
 ジャム作りに限らず、キッチンの熱中症対策はどうするか?
 我が家の場合はエアコンのあるリビングからサーキュレーターで冷気を送り込む。熱気はキッチン上部に溜まりやすいが、キッチンは壁に囲まれて狭いだけに、循環を作ってやると熱気がリビングに押し出されて、多少気温が下がる。
 しかしそれでも熱い。ガスレンジの周りは尚更。台所に水は豊富なので、コップを置いて汗をかきながら、とにかく水を飲んで補給する。  


Posted by mjisek at 17:11Comments(0)

2016年08月22日

一年があっという間に過ぎる

歳を重ねるにしたがって時間は加速度を増し、棺桶目指してまっしぐらという気がしてくる。
 少年老い易く学成り難し、とはよく言ったもんだ。さすが朱子先生。

 そんな学成り難し中で、今年もモノを置いた場を忘れるジャムを作った。去年作りすぎた反省もあって、今年は必要なだけ作るようにした。
 メローゴールドに始まり、金柑・八朔・ラズベリー・バナナ・苺・パイナップル・ブルーベリー・レモン・杏・プルーン・幸水梨・巨峰・ライム・南水梨・栗・洋梨・柚子・紅玉、スチューベンという葡萄のジャムも作った。
 複数回作ったものもあるので、20以上作ったことになる・・・糖尿病が心配だ。

 子供は、「ここ数年手作りジャムを食べ続けてきたので、市販のジャムが食べられなくなった」と嬉しいことを言ってくれる。
 ジャムのホームページ作りにも乗り出したが、こちらは遅々として進まず。
 それでも、今年はジャム作りに大きな変化があって、これまで使わなかったペクチンを初めて使ってみた。
私の台所 ペクチン 30g_

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 果物によってペクチンを多く含んだものとそうでないものがある。
 多いのは梅・杏・プルーン等のスモモ類、レモン・金柑・柚子・ライム等の柑橘類の一部。
 ペクチンそのものは植物の細胞壁に使われる多糖類で、どのような果物にも含まれているが、含有量や結合の度合いもあって、加熱してジャムにした場合にサラサラにしかならない果物が多い。

 砂糖を多めにしたり、レモン汁で酸度を上げてペクチンを溶出しやすくする方法もあるが、甘くなりすぎたり、酸っぱくなりすぎたりする。
 これまでは多少水っぽくても手作りジャムらしくていいや、と考えてきたが、少量の工業ペクチンを加えるだけなら、手作り感を損なわないし、多少粘り気があった方がジャムとして使いやすいのではないかとも考え、スーパーで買って南水梨で試してみた。
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 梨ジャムは水分ばかりで少しも粘らない。それがペクチンを一摘み入れたら、ほんのりと粘った。
 市販ジャムのようなゲル状にはせずに、水っぽさを緩和する程度ならペクチンも使いようだと思った。その後、紅玉・洋梨にも少量入れてみたが、意外と効果的。
 少年老い易く学成り難し・・・多少の進歩はあったか?

 冒頭の写真はアメリカ産のペクチン。オレンジなどから作られているが、日本ではリンゴから抽出するものが多い。   


Posted by mjisek at 15:48Comments(0)

2016年08月15日

 ここまで長々と書いたのは

いかに天皇が民主主義国家における天皇像の確立に尽力されてきたかを説明するためである。
 そのような天皇の真摯なお気持ちとお人柄が、これまでも被災したり不幸にあった国民を勇気づけてきた。だから3月11日の追悼式典で、天皇がどのよう無論在什麼年代,追求幸福都是永恆
に被災者を勇気づけ、国民に呼びかけられるかをお聴きしておきたいと思った。

 残念ながらその前に首相の式辞があって、ネット検索で簡単にテンプレートが見つかりそうな弔事のスピーチと、街頭演説の選挙公約か国会答弁のような、政治家の空疎な言葉が躍った。

「悲痛の念に堪えません」「衷心より哀悼の意を表します」「心からお見舞いを申し上げます」「被災地の取り組みに最大限の支援を行ってまいります」「美しいふるさとを取り戻すために全力を尽くします」「災害対策の強化を早急に進めてまいります」「復興を通じた日本の再生という歴史的な使命を果たしてまいります」

 首相が作文したのか、秘書官が原稿を書いたのか、それとも役人か。血の通わない言葉の数々・・・
 言葉については、このブログのタイトルでもあり、2007/2/3「言葉の重さと、我が存在の軽さについて」に説明している。

 言葉はもともと呪術的な要素を持っていて、言葉を発することには大きな重みがあった。古代人でなくても、私たち現代人にとって言葉は大切で、その言葉は人を傷つけ、人を悲しませることもあれば、人を笑わせ、人を元気づけ、人を幸せにすることもできる。
 政治家や役人たちの言葉ほど、空疎で軽いものはなく、それは追悼式典の首相の式辞に表れている。

 一方で天皇のお言葉は、人命を救おうとして命を落とした人々、原発事故によって故郷を追われた人々、ボランティアや被災地・福島第一原発の第一線で戦っている人々、外国からの救助隊にも思いを馳せたものだった。
 そして、原発事故の終息が困難を極めること、被災地の復興の道のりが簡単ではないことを直視し、その困難の中で国民が心を一つにして国の復興のために辛抱強く努力し、将来の国民のために安全な国を作ること、それが震災で命を失った人々に対する慰霊になると呼びかけられた。  


Posted by mjisek at 16:47Comments(0)

2016年08月03日

心中流淌的不只是一種想念

  
  期待下一世,我為琴,你為簫,譜就一曲情動天上人間的梵音,續一場琴瑟和鳴的傳奇;期待下一世,我為清風,你為白雲,繾綣萬千看雲卷雲舒隨風起舞,柔情百轉在和風細雨裏纏綿;期待下一世,你為在水一方的伊人,我為兩兩相望的公子,來世情來世再續,我只要你今生愛我一次,以不負我傾盡一心,只為一人。心情隨著思緒起伏不定,一次次在靜靜的夜晚敲擊鍵盤,只為你一個人所寫的心語。有時在想,當你閱讀的那一瞬間,是否會觸動你那顆冰冷的心?這樣的夜無論在什麼年代,追求幸福都是永恆,一個人靜靜地思念。手指輕輕的敲打著鍵盤,傾聽文字在手指下麵的傾訴。驀然發現,原來有很多的時候,心裏會悄然的走過關於某一個人的思念。原來對一個人的思念有時候不需要這麼纏綿,只是如水流過,了無痕跡。尤其是這樣月光如水的夜晚,還有想念溢滿的柔軟。
  
  思,有點心酸;念,有點牽腸;想,有點心痛;望,有點傷懷。一轉眼,落紅謝成了,思念你的那首小詩;一回眸,心事瘦成了,想念你的那彎柳眉;一揮手, 相思化成了,愛戀你的那幕細雨。一份靜悠,一份閑遠,想你的心深沉如子夜的海般深寂。思念是筆端淡淡的墨色,從容的滴於薄如蟬翼的宣紙,棉如雪的思緒就這 麼慢慢潤染開來,幸福的痕跡濃淡皆宜。此時,千裏之外的你,也會如我一樣的想念嗎?想著隔時隔空的思念,追隨著彼此相同而又熟悉的氣息。思念從身體滑過,驚醒每一個沉睡的細胞。是真中的夢,是夢中的真,還是驚醒後迷茫的惆悵?
  
  花若謝,定是為你凋零;淚若流,定是為你哭泣;月若瘦,定是為你相思;筆若動,定是為你寫詩。將藍天傾鋪成淡薄的畫卷,展一片筆墨淡香,留一線靜謐遐 想,穿透多姿的雲彩,尋找放飛夢想的天堂。想你,在獨坐幽窗品茗的時候,茶香幽幽溢滿心間,就像那些芬芳過往;想你,在黃昏漸漸逼近的時刻,憂傷似海,但 我不敢說出你的名字;想你,在秋風乍起的時候,雨橫風狂,梨花深閉門,感覺時光漸老,如花美眷,似水流年。
  
  望天涯,月明知要缺,卻還是要圓;臨流水,花明知要謝,卻還是要開;念伊人,心明知要痛,卻還是要寫。好久沒有你的消息,我的視線裏已斑駁了對你的記 憶,在逝去的光陰裏,在相伴的歲月中,你的身影時刻縈繞在我的腦海裏揮之不去,那些曾經的點點滴滴,已經過歲月的洗禮,漸行漸遠想忘掉卻又記起,將思緒裁 剪,將過往拾起,一點點一滴滴,燈火蹣跚處,你的影子還是跟我形影不離。在你的世界裏,我迷失了自己,到如今還徘徊在過去的歲月裏,細數往昔,有著如花的 美麗、有著浪漫的情懷、有著喜悅的淚滴。梨花帶雨灑滿一地,風花雪月的呢喃,今生只能借助文字來把對你的眷戀,寫進流金歲月的記憶裏,等到閒暇之餘,去梳 理那柔情似水的漣漪、去咀嚼那櫻花浪漫的回憶!
  
  信手執筆,用三分溫柔寫出你的喜怒哀樂,用七分情願寫盡你的苦辣酸甜,用十分感動寫 滿你的春夏秋冬,然千言萬語,寫不出的,是你在我夢中的迷離;詞窮意盡,描不出的,是你在我心裏的美麗。文字裏,思念,成河,不渡;心事,成酒,不酌。今 夜,我用文字編織一個靜美的世界,驀然回首,水做成的夢,滴滴入懷音,直到難眠時,才發現是相思,這是心情;直到分手時,才知道是眷戀,這是目光;直到離 別時,才明白是心痛,這是感覺;直到夢醒時,才清楚是永恆,這是緣份。
  
  如今,月色依舊清亮,窗外,春意漸濃,我依舊那麼的喜歡著你,在靜寂的月夜裏,體會獨自無眠時那片刻的安寧。攬一輪明月,寫滿相思伴你遠行;采一朵蓮花,溢滿心香給你安然;擷一片楓葉,寫滿溫暖伴你淺舞天涯。只因為,你的美,寥落了我的文字……  


Posted by mjisek at 17:01Comments(0)

2016年07月25日

僅剩的些許光陰

感覺我還沒有適應我是一位大學生的角色,然而,我的大學卻已經接近了尾聲。現在,我存在的時間掐著指頭計算,一年帶著點零頭。這就是我在大學,很快我就會被掃地出門。到那時,歲月將不會給我機會,神明也不再保佑著我!
  
  最近一直沐浴在學長學姐們離校前的春風中,我突然也想著說點什麼。只怕,上天給我的時間太少,我來不及準備,也來不及留下點什麼。其實我不怕帶走遺憾,我只怕我連遺憾的痕跡都沒有。
  
  大一的時候,我一腳踏進了一個坑無論在什麼年代,追求幸福都是永恆,一坑就是這麼三年。其實我也不知道為什麼我當初就跳了進去,不知道是命中使然,還是神明指引。也許這一切都是定數,就是這一切,給了我一個個美好的回念,留下了一段段的記憶碎片。
  
  夜色中,我們踏過的彌紅燈光中,收錄著屬於我們的痕跡,那個個幼稚的想法,那些些朦朧的衝動,還有那段段天真的幻想。有時候我會撿起E棟那條路上的落葉,去認真的去傾聽我們輕快的腳步,我們無憂的青春,畢竟那裏有著我的大一時光,那裏塑造了出了我最初的價值觀念。
  
  那個濕冷的冬天、那個灰暗的樓道、那盞盞上了年紀的路燈、還有那幾個熱情洋溢幾近瘋狂的青年,當然少不了的就是那些嘔啞嘲哳的笛音。我的記憶中那年冬天是特別的漫長,無盡的濛濛細雨,還有從沒有沒有幹過的路面,濕冷刺骨的寒風,那幾個個天真無邪的少年美女。
  
  在那裏我們彼此相識,也彼此相知,就此開始書寫著我們的痕跡。而我們的友誼,卻完全超越小說家幻想中的唯美情節。
  
  那個年頭我遇見餘學長、小紅帽、波波、威威、獸哥、小師妹、亮亮、楊總、小丫、謝藝還有傳奇的 玲姐等等很多的人並且在我後來的日子裏,我都是以我認識這麼多的朋友為榮,那句“關係就是第一生產力”還曾一度成為我的口頭禪,現在想想有點天真,但更多 的卻是溫馨。他們給我的是家的溫暖,也有手足的推心置腹,肝膽相照。如果陪伴是最長情的告白的話,那我們這三年的堅守就是最浪漫的結局。
  
   記得大一那次丟了飯卡,去補辦的路上,跟上課途中的小丫學長開了句我要挨餓的玩笑,他當時就從衣兜裏拿出了飯卡塞給我,還告訴我他大學裏朋友多。當然我 們曾今彼此黑著對方往死裏黑;也曾今跟他們淩晨跑到後山去喝酒;我記得去年兄弟表白,我就沒有去上課,幫忙擺蠟燭去了;還有為了參加社團評獎的答辯,從早 上一直忙到下午,中午一起吃著盒飯的片段,也是不斷地在我的腦海裏翻滾著。
  
  我們有著太多的故事,在沒有烈酒的夜晚,我只能靜靜的品味著我的記憶碎片。
  
  不過種感覺跟他們在一起是快樂的,也是最輕鬆的,我永遠在他們面前展示著我最真實的自己,也儘量去展現我的童真,我記得小紅帽(大我三屆)說過:跟你們玩我才能感覺到我的青春!
  
   大三的我也繼續著學長們走過的道路,繼續再跟著小學弟們每個夜晚去玩,去感受他們的熱情,他們的單純,去沾沾他們青春的味道。看著他們對笛簫的喜歡與癡 迷,我就想起大一的我們,已經走過來的他們。這就是痕跡,我在笛簫協會家庭裏面的碎片,也是我珍貴的財富,也許還是我將來年老時飯後閒聊的話題,炫耀的光 點。  


Posted by mjisek at 17:21Comments(0)

2016年07月12日

香閨心動鎖君瀾

千裏邀約一日還。紅裝及目欒盟賦,連理堂前醉傾顏。
  
  為你披上十裏紅裝,可否許我地老天荒,夢醉樓蘭,癡醉依偎的模樣,琴瑟瀟湘,願與你一起梵唱----題記
  
  誰於月色著霓,誰於煙火落萋。轉身修一朵菩提,只為花開見佛,吟頌的經卷裏有你。願做佛蓮前的青衣,當青煙渺渺,也許才能看到你的背影依稀,零落成泥時,蓮心不染塵。
  
  一笛瀟聲獨奏,繾綣了的顛沛流離,漸行漸遠的往事無論在什麼年代,追求幸福都是永恆
,又有多少欲語還休。粉色的愛戀,心瀾情執手,點點離愁,鎖住了多少胭脂扣,貪戀那次你的一眼回眸, 輕輕的無語凝落憂,漫長的等待,習慣了孤寂在相思豆蔻。雖然年華依舊,可是流年走的那樣緩慢,讓鬢角又憑添了幾個春秋。是誰惹了清夢,絡繹在素墨裏的等, 情絲慢惹共一場相思心疼。若可,採擷半縷秋風,只願裝點有你的清寧,不再停留那個曾經,點墨清秋暮雨風,水雲間前一簾夢。
  
  暗香疏影搖紅霞,心事迷離霧朦朧,紅豆相思已成美麗的風景,醉月之情婉若霓虹,花開一抹,如華邀月情濃。誰解我心頭柔柔風情,握你之手心無他,三生石 上刻下相思月纏紗。杯中酒,水中畫,將你千裏遙遙牽掛,一縷情絲繞指寒,默默無語落筆生花,飛越時空的依然是綿綿的情話,染了曼珠沙華。
  
  細雨小巷如水纏綿,那些心動的畫面,在無數的思念裏浮現。好想抓住諾言的邊緣,讓每一次的留戀得到舒展,那朵思戀鑲嵌的容顏,已然落在眉間,何曾凋殘。情願蝶舞翩翩,牽著你的影子舞翩躚,落雨的門前,嬰嚀細語柔情瀾,多想就這樣溫婉永不渙散。
  
  碎影依稀夢飛花,往事迷離風作畫。除卻相思不是雲,獨憶江南已無他。只影斜憶花落下,月華如水默蒹葭。墜落的情字怎樣作畫,草色醉月牙,風舞羈狂淚飛花,諾一程相思入枝椏,誰把念字讀作魂落伽。愛起的刹那,你讓陌路走到了天涯。
  
  滴墨裏心被掏空的場景,始終無法表達諾的永恆,血色的脈絡,逝去的曾經,殷殷期待在哪里找一個初衷。總希望你能懂,而不是敷衍美麗的夢,是否,每個字裏行間都有你的背影。
  
  誰用浮生亂了煙火,誰把執著換做失落,不必將誓言畫成天河,淩亂的星子把雨落演繹成昨,若你能快樂,我情願什麼都不記得。。。。
  
  捧在手裏的花束,還殘存著你掌心的溫度,記得曾經承諾過一生不會落幕,可最後你只是認真的畫了一道弧。那次愛的荼毒,我要用半生的力氣來救贖,女人花嬌豔到什麼程度,是因了你給她憂傷的次數,要用血色來平復。握緊,放開,需要抹去記憶填平無助,寂寞是你賜予的辜負,突然想起了,還有一種姿態就是奔赴。
  
  聽說,風起的時候回憶會出現,雨落的日子思念會落單,腳步被放慢,影子也蹣跚,月華如雪的浪漫,難以渲染粉色的愛戀。夢影依偎心翩躚,旖旎在風起的路口,心思闌珊。過往給了我一個懸念,好怕,怕在未知的一天,你不在我的夢裏出現。
  
  一場花事已老,回憶是座落了鎖的牢,倚在冰冷的牆角,原來你還欠我一個擁抱。
  
  淡了,空了,不悲不喜。近了,遠了,各安相宜。試著在時光中尋覓相偎相依,似乎在光影裏看到了默默不語,用指尖丈量情在心上的距離,卻是輕聲相許。轉身,遇見,回眸淒迷,我只能在等待的路上落筆。
  
  起筆不言殤,也許是學會了摒棄過往。宣紙上關於愛的思量,只是選擇了隱藏,一程陪伴,一場癡狂,卻無法臨摹其中的重量。一個人,一縷幽香,幾多回眸溫 婉心房,終究會在記憶裏泛黃。紅塵客棧,無恙無殤,於是,嘴角輕揚。安恬到品讀一盞茶的時光,滄桑了的歲月,邀你一起品嘗,醉了,不是茶的幽香,而是嫣然 了情之綿長。時光初念時,點燃了那片斜陽,梵音落荷塘,只想尋覓一處寧靜,將所有淩亂慢慢釋放。
  
  看淡了一切浮華,心的澄澈,讓原本紛雜的情緒,有了一絲寧靜,塵世繁華,許是惹了些許滄桑,至心有些迷茫,歲月蹉跎了心境,甚至一朵花落,都會潮濕了眼睛。
  
  一直都很簡單,討厭游離於心機重重的環境,更喜歡一個人安靜的待著,即使啥也不幹,那也是一種享受,情願把自己交給清風,無欲無求,將所有思想放空。
  
  雨天,最想做的事,就是安靜的看著從天而降的雨絲,情緒也會跟著淋濕,小雨伴著吉他,偶爾作首小詩,裏面有你的填詞,字裏倒映出你的影子,泛黃的記憶依然會浮現你的樣子。
  
  突然有種衝動,很想光著腳丫子,趟在水裏頑皮的像個孩子,喜歡雨滴落在的身上的感覺,涼涼的,冰冷的沒有任何修飾,好像已經忘記了過往,更喜歡沉靜的在自己的世界寫字,這不是一種封閉,我覺得應該是最浪漫的事………
    


Posted by mjisek at 18:28Comments(0)

2016年07月06日

仕事や家庭が忙しかったし

 サイモン&ガーファンクルはこれまでに2回来日公演をしている。1回目は1982年、2回目は1993年。
 来日したことは聞いてい生命的燦爛,寫亂了靈魂的花蕊,是剩下淚,還是單たがコンサートには行かなかった。他に関心を向けなければいけないことがたくさんあった。

 サイモン&ガーファンクルが来るんだ・・・
 あれから、もう40年余りが経っている。彼らだって、もういい歳だ。これが二人の歌を聴ける最後のチャンスかも知れない・・・
 そう思うと、居ても立ってもいられなかった。帰宅すると、早速連れ合いに話した。
 「サイモン&ガーファンクルのコンサートがあるんだけど、行かない?」

 我が家のコンシェルジュである連れ合いは、早速ネットで調べ、先行予約で家族全員のチケットの手配をした。
 先行予約ではアリーナ席は取れないが、確実に席を確保できる。確実にチケットを取りたかった。
 実際、東京ドームでの二日のチケットはすぐに完売し、オークションに出回り始めた。
 それでプロモーターは武道館での公演を追加した。

 7月11日土曜日を指折り数えた。子どもみたいだが、本当に楽しみだった。

 昨夜は東京ドームのコンサートが終わって、近くのインド料理屋で食事をしながら家族でコンサートの話をし、家に帰ると何もしないで横になった。
 コンサートの余韻をいつまでもそっとしておきたかった。
 涙が零れるくらいに感動した・・・

 都議選の投票を終え、今、サイモン&ガーファンクルのベストアルバムを聴きながら、これを書いている。
 まだ、昨夜の感動をうまくまとめられそうもない。

 今回の公演のタイトルは、Old Friends だ。
 コンサートのオープニング曲は、'Old Friends/Bookends Theme'、1968年のアルバム曲だった。

 公園のベンチに二人の旧い友がブックエンドのように腰かけている。
 何年も先、公園のベンチに座る70歳になった僕たちを想像できるだろうか。
 僕には過ぎ去った歳月の写真があり、君には思い出だけが残される・・・

 ポール・サイモンもアート・ガーファンクルも今年68歳になる。
 40年余りが経って、想像もしなかった現在の自分の姿があり、東京ドームに集まった Old Friends に残された思い出は、二人の懐かしい歌だった。

 曲が始まると、懐かしさが胸に込み上げてきた。
 気がつくと、40年前の時間の中にいた。
 ラジオの深夜放送から流れた来たサイモン&ガーファンクルの曲を初めて聴いたのは、中学生の時だった。
 昔のままのボタンを外したベスト姿で現れたアート・ガーファンクルはこう挨拶した。  


Posted by mjisek at 18:05Comments(0)

2016年06月22日

先週から満開だよ



ここに水仙が植えられていることに初めて気付いた哲が嬉しそうに言った。
そうだよ!ずっと前からあるし、!

もうすでに何度もここを通っている私は「当たり前」のことのように哲にそう言い、その水仙を横目で眺めた。
一週間前に蕾が開いたのを見た時は、うわ~、、と声をあげ、いろいろな角度から写真を撮っていたのに。

あれは1年半前に帰国した時のことだった。
朝ドラを観ながら朝食を済ませ、その流れで朝の番組を観ていた。レポーターがしたコメントに、出演者が「そうですよ!これは~なんですよ!」と言い、自分の知っていることをその後付け加え話していた。すると普段はあまり人のことを悪く言わないママが、食器を洗っていて濡れた手をエプロンで拭きながら、「物事は、そんな風に知ったかぶって言うものじゃないわよねぇ。」と言った。

小さい頃、私を注意するのは決まってパパだった。ママはいつも優しくて、我がままな私を寛大に受け入れてくれていた。今思うと、叱られたことを思い出せない。
だからママがそんな諭すようなことを言ったのが新鮮で、自分が諭されたかのようにハッとしたのだった。

そう、私はよく「知ったかぶり」する。
知っていることを誰かに見せたっモノを置いた場を忘れる
て仕方がないのに、おそらく自信が無いからなのか、昔からそうなのだ。
それは末っ子だったからなのかもしれない。いつも自分よりも多くのことを知っている姉に負けじと、知っていることを話し、認めてもらいたかったからなのかもしれない。

そうだよね、水仙、きれいだよね~。と言えなかった私は、また知ったかぶりをしたのだった。


冬から春に移り変わり始めることは、どんな小さな蕾も芽も逃さんとばかりにキョロキョロし、そしていちいち感動していた。でも今はこんなに真っ赤に薔薇が咲きほこっていても、それは「当たり前」となり、これは一応撮った写真だった。

世の中には「当たり前のもの」なんて無く、いつでも「当たり前で無い物」を享受しているのだということを忘れやすい私にとって、四季があって本当に良かったと思う。例えそれぞれの季節の美しさを忘れたとしても、1年に4回訪れる四季の変化のお蔭で、当たり前が当たり前でないと気付かせてもらえる。そして感謝出来る。
  


Posted by mjisek at 17:40Comments(0)

2016年05月13日

論点が明確であるし



同じ趣味を持つと、ピンポイントに興味が絞り込めるし、
その道での経験や意見、考え、悩みが、各自それぞれあって、。
しかも、年代もほぼ似たり寄ったり。

あーだこーだと、意見や感想を多くの人と戦わせ合うのって、とても楽しい。
しかも、どうでもいい、趣味のことなので、罪がない。結論なんか、いらない。
お茶のみ縁側的な場でもある。

どんな世界も、本音と建前があって、一見、良く見えても、どこも同じだ、という人もいるが、
趣味の世界に、本音と建前を使い分けて、なにをしようというのだ?
そんなものは、いらない。
意見が違えば、「人それぞれ」で片付ける。
「プロじゃあるまいし。所詮、お遊び。各人、ご自分の道を突き進んで楽しめたらいいですね」に、なる。

自己顕示欲の強い人や、結果主義の人、競技絶対主義の人がいても、
「競技に価値をおかない」という価値観で、勝負は、勝ち負けなしになる。
競技の人は、競技の人だけで共通するものが、わかりやすい、つるんでもらえばいいわけで、その他の人に価値観を押し付けるのなら、
自分たちの世界から一歩も出なければいい。
でも、ちょろちょろ出てくるので、そこは、社交の世界。
自分たち競技者の実力を認めろ、と、しゃしゃり出てくるのなら、そちらの世界内だけでどうそ、と、お帰りいただく。
出てくるということは、こちらの世界(競技ではない世界)に魅力があるからに他ならない。
こっちの水は、甘いのだ。
修行僧が、ふもとの街に、ふらふらと舞い降りてくるようなものだ。

ただし、本音と建前を使いわけている、と、わたしは思わない。
相手に合わせる必要はない。喧嘩をする必要もない。

価値観は、人それぞれであり、共通するところだけで、接点を持って、楽しめばいいのだ。

趣味の世界は、どれが正しいとか、こっちにしなさい、とか、そんなのはない。
笑われるようなカッコ悪いことをあえてしたい人は、すればいい。
上達が著しく遠くなるような道をあえて選びたい人は、選べばいい。
向上、努力、精進を極めたい、一生、終わりはない、という人は、そうすればいい。
サボってる、とか、生真面目すぎるとか、柔軟性がない、とか、人の選んだ方法に口を出す権利はない。

ただし、あくまでのこれは趣味の世界のこと。
仕事や、生活面で、ノールールで好き勝手、それぞれにしていたら、社会は混沌とする。
日常生活が苦しくて辛くて、趣味の世界で、ほっと息抜きをする人もあるだろう。
趣味で、救われる。
そんな人に趣味の厳しさを説いて、どうする?
気が晴れて発散するタイプと、のめりこみ、追求するタイプがある。
あるいは、優位をお金で買おうとするタイプ。
努力の工程をショートカット。
これは、自慢げにされると、じつに鼻につく。
経済的にゆとりがない人は、自分のできる範囲のことで頑張っているのに。  


Posted by mjisek at 17:19Comments(0)
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